頭痛・肩こり・腰痛・膝痛・スポーツ障害・虚弱体質・自律神経失調症

カイロ創世

自然療法や民間療法の多くが、非科学的という理由のみで正統医学と認められず消え去っていった。
その苦難の道のりを越えて、生体力学とその神経生理的意義という未解明な分野にまでチャレンジし、ついに『学問』にまで発展したカイロプラクティック。それは、副音伝道的情熱に燃えて、『INNATE(イネイト)』という先天的な人体の自然回復力による病気の治療法を発見した、D・D・パーマーの独創性に始まる。

D・D・パーマー [Daniel David Palmer]

 

 

 

 

D・D・パーマーは1845年3月7日生
彼は20歳の時に、生まれ故郷(カナダのオンタリオ州ポートベリー)を出て、アメリカに移住しました。イリノイ州ニューボストンに居をかまえたD・Dはあるひとつのテーマに没頭していきます。

 

 

 

 

 

それは、ごく素朴な発想からでした。
『同じ親から生まれ同じ食物を食べ、なぜ1人は強く、1人は常に病弱なのか?』
『同じ身体で、なぜある臓器は弱く、ほかは正常なのか?』 などなど。。。
そして、1人の独立した思想家として、『イネイト(INNATE)』という先天的な人体の自然回復力を使って、薬を使わない病気の治療の方法を発展させていきました。

 

内臓のどこかが悪いかもしれないという時に、全身に投薬を試みる医学界の短所にD・D・パーマーは異議を唱え始めたのです。そして、脊柱の異常あるいは不整列を前提として、それが人間の神経組織に悪影響を及ぼし、病気
を起こす(サブラクゼーション)という『背骨の異常と病気との関係』を理論的に考察していきました。

 

 


最初のカイロプラクティック・アジャストメント(矯正)

ハーヴェイ・リラード(Harvey Lillard)という名前は、一番最初のカイロプラクティックの患者としてドラマチックに刻印されています。

 

リラードが突然、しかも奇妙なかたちで耳が聴こえなくなったことに注目しています。『窮屈な姿勢で身をかがめた時に、何かが背中を走るような感じがして、それっきり何も聞こえなくなった』と。
1895年9月18日のことでした。
D・D・パーマーはリラードの脊柱を検査している時に、脊柱の不整列の兆候である『こぶ(隆起)』を発見したのです。

 

D・D・パーマーはその時のことを、自叙伝に
『私はもしその椎骨がもとの位置に戻れば、聴力が回復するのではないかと考えた。その目的を話すために30分間話し合って、椎骨をもとの位置に戻すことをリラード氏に承諾させた。』

 

D・D・パーマーは診察台の上にリラード氏をうつぶせに寝かせ、脊柱の不整列を正そうと、両手でその椎骨にスラストしたのです。

 

これがカイロプラクティックの最初のアジャストメント(矯正)でした。

 

 


『カイロプラクティック』の言葉の由来

D・D・パーマーの患者であり、友人でもあるレバーランド・サミュエル・ウィード(Rev.SamuelH.Weed)はいくつかの言語に堪能な学者でした。古典的な言語の知識を持つウィードはD・D・パーマーの友人として、この治療法にいくつかの名前を提案しました。

 

その中からD・D・パーマーは、最終的に『カイロプラクティック(Chiropractic)』という名前を選んだのです。それはギリシヤ語で『手』を意味する『Chiro』と、『技術』を意味する『Praktos』からとられました。

 

 

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